MJ

2011年06月04日

"They Don't Care About Us"

以前にも紹介したフィリピンの受刑者たちのパフォーマンスです。




受刑者たちの「THIS IS IT」(2010/1/27)
http://soranimukatte.ldblog.jp/archives/51698924.html

あの頃は、反核のマークを知らなかった・・・。

核兵器と核エネルギー(原発)が
この地球に取り返しのつかないダメージを与えることを
マイケルは知っていたのでしょうか。


soranimukatte_23 at 00:00|Permalink

2009年10月01日

What More Can I Give?





この曲のことをちょっと調べてみたところ…。
2001年9月7日、10日、マイケルはニューヨークでソロ30周年を祝うコンサート「Michael Jackson: 30th Anniversary Celebration, The Solo Years」を行った。日本からは安室奈美恵が駆けつけ、オノ・ヨーコも参加した。9月7日は兄弟達と出演し、終幕はクインシー・ジョーンズの指揮で出演者全員による「We Are The World」が演奏された。9月10日には最後の「You Rock My World」でアッシャーとクリス・タッカーがパフォーマンスに参加した。コンサートはチケット総売り上げ額10,072,105ドル、観客総動員数34,884人と成功のうちに終わったが、その翌朝アメリカ同時多発テロ事件が起こる。


事件に衝撃を受けたマイケルは、「We Are The World」を再現したような豪華アーティストを集めたチャリティシングル「What More Can I Give?」を企画。この曲はもともとはコソボ自治州のアルバニア系住民に捧げる予定であった曲で1999年には既に存在していた。マライア・キャリー、セリーヌ・ディオン、ジャスティン・ティンバーレイク、ビヨンセ、リッキー・マーティンらスターを集めてコンサートを開催した。しかし、10月にレコーディングは終わっていたのにもかかわらずプロデューサーのスキャンダルなどの影響でCD発売は実現しなかった。ソニーの圧力があったとも言われる。(ウィキペディアより)

その頃配信されていたニュースをさがしてみました。

マイケルも闘う…音楽の力でテロ犠牲者救う(2001年9月17日スポニチ)
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/special/calender/calender_09september/KFullNormal20090917109.html
マイケル・ジャクソン(当時43)が2001年9月16日(日本時間17日)、米中枢同時テロ事件に対する緊急声明を世界に向けて発信し、犠牲者の家族を支援するためのチャリティーCDを製作することを発表した。

米・同時多発テロ/マイケル・ジャクソンが被害者救援CDを制作(2001/09/18 Beats21)
http://www.beats21.com/ar/A01091802.html
発売日は明示されず、「出来得るかぎりすみやかな」リリースとなる。

マイケル・ジャクソン日本で豪華チャリティーライブ開催(2002年5月16日ファミ通.com)
http://www.famitsu.com/entertainment/news/2002/05/16/n05.html
昨年9月11日に起きた米同時多発テロの被災者を支援するため、なんと日本でチャリティーコンサートを行うことが明らかになった。また、8月下旬には約40組のアーティと共演したチャリティーCD『What More Can I Give』のリリースも予定している。

結局、この911事件被災者支援のためのチャリティーCDは、
様々な妨害を受けて発売にはいたらなかったようです。

マイケル、Sony Musicの代表を「人種差別主義者」と発言(2002/07/08 Beats21)
http://www.beats21.com/ar/A02070808.html
マイケル・ジャクソンのチャリティ・シングル、プロデューサーのポルノ関与発覚で発売中止に(2002-07-14 BARKS)
http://www.barks.jp/news/?id=52285446
未だ日の目を見ないチャリティ・シングル「What More Can I Give」(2002/07/16 Beats21)
http://www.beats21.com/ar/A02071604.html

翌々年(2003年)、この曲はダウンロードのみで発売され、
その収益は子どもたちのために寄付されたようです。

何をするにも、とにかく執拗に妨害されていたのですね…。


soranimukatte_23 at 14:07|Permalink

2009年08月01日

虐げられし者たちの叫び

今日(7/31)の空の写真(3枚目)を見て、このフィルムを思い出しました。

前に「ブラック・オア・ホワイト」のショートフィルムを紹介しましたが、
オリジナルではパンサー・パート(Panther part)とよばれる
マイケルの反骨精神がみごとに表現された後半部分が続いています。

このショートフィルムは、マイケルの4年ぶりの作品として、
1991年11月14日に27か国の5億人(史上最高)の視聴者に向けて放送され
「驚くべき反響」があったということですが…。
後半のシーン(通称「パンサー・パート」)が暴力的ということで論争となった。マイケルがストリートでガラスをたたき割ったりする描写(ちなみにガラスにはクー・クラックス・クランなどの人種差別団体などの名前や、ナチス党のシンボルのハーケンクロイツが書かれている)があるためだが、マイケル以外には誰も登場せず、特に暴力を肯定しているわけでもないので、マイケルのイメージの問題を別とすれば、当時や現代の基準でも特に問題になるような表現というわけではない。

また、フルバージョンは時間が長い上に、後半部には音楽がないため、テレビ放送などでは、ちょうど楽曲が終わる、様々な人種の表情をモーフィングで繋いだシーンのシークェンスまでを前半部として、これ以降の部分を放送しないことも多い。

(ウィキペディアより)


MICHAEL JACKSON BLACK PANTHER DANCE(BLACK OR WHITE PART 2)

PREJUDICE IS IGNORANCE
偏見は無知なり


soranimukatte_23 at 00:45|Permalink

2009年07月29日

Speechless(スピーチレス)

「Speechless(スピーチレス)」は、アルバム『インヴィンシブル』(Invincible)の収録曲です。
『インヴィンシブル』(Invincible)は、アメリカ合衆国のミュージシャン、マイケル・ジャクソンの10枚目にして最後の、完成されたスタジオ録音アルバムである

長らくマイケルの楽曲は1990年代前半の音楽を基調にした曲が多かったが、このアルバムでは時流に乗った音楽を一気に大量に取り入れた(共作したジャーキンスは後の2008年に妹のジャネットのアルバムに参加し、結果ジャネットにとっては久々のビルボード1位を獲得している)。候補に上った曲は 100曲にもなるという。青、赤、黄、緑、白の5色のカバーでこのアルバムは発売された。

1曲目の「Unbreakable」で『HIStory』の「This Time Around」で競演したノトーリアス・B.I.G.と競演し話題となった。初めマイケルはこの曲を第一弾シングルとしてリカットする意向であったが、レコード会社が渋ったため実現しなかった。

そうして発売された「You Rock My World」であったが、健闘しフランスでは5週連続1位を獲得した。日本でもオリコン洋楽シングルチャートで1位を獲得している。

その後「Cry」が発売されたが、マイケルがこのアルバムの売り上げがUSで200万枚しかなかったとされる事に抗議して訴訟を起こしたため「Butterflies」「Break of Dawn」「Speechless」「Whatever Happens」はCDとしては未発売となった。

しかし、「Butterflies」の評価は非常に高く、ショートフィルムもなく、CD発売もない(米国のラジオ向けに配布されたのみ)のにもかかわらずエアプレイだけでビルボード14位まで行ってしまった。(ウィキペディアより)

この曲はBGMとして流している分には大丈夫なのですが
気持ちをむけて聴いてしまうと、何度聴いても涙が出てきてしまうのです。
悲しみからか、切なさからか、なぜでしょうか…。

このビデオはファンの方が作成したもの。


Michael Jackson Speechless


soranimukatte_23 at 12:17|Permalink