武田邦彦
2011年05月11日
「科学者の日記110512(2) 明るい未来は自分で作る」
中部大学の武田邦彦さんのブログからの転載です。
転載元頁:http://takedanet.com/2011/05/1105122_9694.html
科学者の日記110512(2) 明るい未来は自分で作る
おそらく冷静に事態を見つめ、未来の日本社会を思い浮かべることができないのでしょう。
政府や文科省の発言を聞いていると、「我慢しろ、止める、文句言うな」など暗く、後ろ向きのものが多いように感じます.
その一つが「福島を見捨てる」という大方針です.
「そのぐらい、健康に関係ない」、「30キロ圏内は待避」、「児童や20ミリまでOK」、「校庭の土をひっくり返して地下水を汚す」など、いずれも極めて後退的な結果をもたらし、福島を見捨てることになります.
福島の人(もちろん、茨城、栃木なども同じ)は、放射性物質で汚染された大地で人生を送りたいのではなく、東電によって汚された大地を返してもらう権利があるのです。
東電は、原発で収入を得て年俸4000万円を取っていたのに、
東電は、60京ベクレルを漏らしてもバスを用意しません。
東電は、水を汚してもペットボトルを用意しません.
東電は、土地を汚しても元に戻すこともしません.
東電は、児童が被曝していても疎開の学校を用意しません.
東電は、それでも重役が報酬を受け取っています.
最近では見ることができないほどの悪質な会社です.
・・・・・・・・・
東電はどうなっても良いのですが、福島は元に戻さなければなりません。
悪質な会社にひっかかったという感じですが、回復方法はあります.
なぜ、政府も福島県もすぐに手がけないのでしょうか?
・・・
畑を耕して野菜を植え、田んぼを作り、小学校を開校する前にやることがあります。それは「綺麗にしてから」ということです。
どんなものでも、汚れることがありますが、汚れをそのままにしてやる人はいません.まずは汚れをとって、それから取りかかるのが常識です.
・・・
「放射性物質」は「放射線」ではなく「粒、粉、チリ」です。だから、まずそのチリを除いてから生活し、学校を開き、農業を進めたらどうでしょうか?
自衛隊、ボランティア、農家、サラリーマン、今まで日本にお世話になった老人などが総出で、まずは「福島を清掃する」ことから始められることを推奨します.
いかに「1年100ミリシーベルトまで大丈夫」と言っても、それを信じる外国人はいません. もしも福島を綺麗にしなければ、福島の子供の健康が損なわれると共に、経済的にも大きな損害が続くでしょう.
1
年20ミリなどという基準は世界では通用しません.それはすでに、外国の論評でも明らかです.
そうなると、今後、30年、福島には外国からの観光客や外資系の会社は来ないし、福島産の農作物ばかりではなく工業製品も輸入規制にあうでしょう。
日本人なら、あるいは福島の人が可哀想だからということで、福島の農産物を買うかも知れません.でも、外国人はそんなことは考えずに「何ベクレルですか」と聞くだけです.
そんなときに数値を示さずに「安全です」などと言っても、信じてもらえないのは当然です.逆に「土地が汚染されているのに、なぜ野菜だけ綺麗なのですか」と聞かれて困るだけです.
・・・・・・・・・
原発から半径20キロの地域から、除染した方が良いと思います.
まずは、道路、公共施設、学校、重機が使える田畑や平地から始め、次に森林を伐採し、草を刈り取って原発の横に焼却場を作り、全て焼いて葉についている放射性物質をフィルターでトラップします.
まずは出来るところから手をつけるだけで、放射性物質は2分の1から3分の1に減るでしょう.
除染する目的、それは「故郷を取り戻す」ということであり、「日本はこのぐらいではへこたれないぞ」という力を示すことです.
もし、「原発事故があっても、1年以内にクリーンな大地を取り戻す日本」ということになれば、それはとても良いことだからです.
もちろん、福島市、二本松市、郡山市はもちろん、いわき市も白河市も関東のホットスポットも、自治体は行動を起こしてください。「これぐらい」などと言っていると30年続きますから、「あそこは汚れている」ということになるだけです。
先祖代々の故郷を綺麗にすることはできるのです!!
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人間には失敗はあるし、悪い奴もいる。
でも、それを素直に認める勇気を持ち、
どうしようもないときには逃げ、
出来るようになったら全力を尽くし、
そして故郷を取り戻す。
福島の人を助けること、
それは汚染された野菜を食べることではなく、
批判したり受け入れなかったりすることでもなく、
福島を綺麗にするのに力を貸すことだ、
それなら、日本人は全力を尽くすだろう.
でも、その福島がSPEEDIのデータを隠し、
野菜のベクレル表示をせず、
ウシや瓦礫を日本中に拡散することを続ければ、
あるいは日本人でも愛想を尽かすかも知れない、
自分たちの失敗は自分たちの世代で片付けておこう.
(平成23年5月11日 午前10時 執筆)
武田邦彦
転載元頁:http://takedanet.com/2011/05/1105122_9694.html
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2011年05月10日
「科学者の日記110510 日々、変わっていくこと」
中部大学の武田邦彦さんのブログからの転載です。
引用元頁:http://takedanet.com/2011/05/110510_9f92.html
科学者の日記110510 日々、変わっていくこと
福島原発からでた放射線物質は、最初に大気中に出て風で流れました。そのすべてが太平洋の方に行けば被害は少なかったのですが、不運にも福島市の方向に流れました。
やがて、その放射性物質は福島と山形の間の山にぶつかって南下し、郡山の方に向かいました。その様子は次の図にハッキリと示されています.
余談ですが、放射性物質が比較的低いところを流れて山の方に行かないということもわかります。
これは山登りの好きな人にはとてもいい話でもありますし、またこの地図を見て、福島県の方で時々、お子さんを山の方に遊びに連れて行くこともできるのではないかと思います。
これから長い間のことですから、楽しみながら放射線を避けるということも必要だと思います。
・・・・・・・・・
ところで約1ヶ月後、放射性物質は大地の上に降り、道路や校庭を汚し、ホウレンソウを痛めました。そして、私たちがあびる放射線も、大気からのものが減って、次第に地面からの放射線に代わっていきました。
今、その放射性物質は、溝に流れ、さらには汚泥等に入っていっています。だから、この時期に「汚泥が汚染された」のは理屈通りです.
大変に不幸なことでしたが、放射性物質を「火山の灰」のように考えれば、目には見えませんがおおよそどこに飛び、どこに潜んでいるかわかると思います。
これは身を守る上でとても大切なことです。お母さんは「こんなところが吹きだまりになるな」とか、「葉っぱの上に乗るとこびりつくから」などと経験を活かしていただけれと思います.
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ところで、やっかいな問題があります。
放射性物質で汚染されたものは、地方自治体が処理するのではなく、すべて国が責任を持つのですが、その国が今まで全く原発事故の準備をしていなかったので、一つ一つ、今後決めていかなければなりません。
何のために税金を払っているのだ!と叫びたくなる心境です.
汚染された汚泥の処理についても、福島県が現在、国の方にその処理を依頼しているところです。
これと同じことが、小学校の校庭等でも行われています。
郡山市は先んじて小学校の校庭の表土をとりましたが、その結果、お子さんの被曝は随分減りました。
ところが、表土を取った後は汚染された土が出ます。常識的にはこの土は東京電力が引き取るのが当然ですが、法律的には国に責任があります。
しかし、国はこの土をどうやったらいいかわからないので、土の出ない方法を提案しています。それは小学校の校庭の表土を削りとって深い土と入れ替えるということです。
もちろん表面に火山灰のような放射性物質があるのですから、このことで子供さんの被ばく量は減少します。
その代わり、その校庭には、セシウムが残りますから、今後30年の間、放射性物質が潜んでいるところでお子さんが運動をすることになるのです。
現実には今、被爆しているお子さんを助けなければなりませんし、そうかといって小学校の校庭が長い間汚染されているのも気が滅入る話です.
現在の文科省はこのような難しい問題を東京電力と折衝して、土地を確保し、小学校の校庭の土を持っていくという力がないと思います。
その背景には、多くの政治家が東京電力から資金の提供を受けているということもありますし、利権と子供という関係では、残念ながら利権の方を優先する政治家が多いことも一つの原因になっているでしょう。
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小学生の被曝の基準を1年20ミリシーベルトにしたり、汚染された野菜を地産地消という名前で給食に出したりするのは、この延長線上と考えられます。
教育の専門家に詳しくお伺いいたしましたが、小学校の給食を全員に強制する必要は、教育上も全くないというお話でした。
むしろわたくしが考えるには、給食の業者等との深い癒着があると考えられます。
およそ教育に関係する人は、貧乏でもいいから子供たちのためにと思って働いてくれなければいけません。仮にも、給食を子供達に強制する理由が、給食の業者との関係であるというなことがあり、それで子供たちを被曝させるということは到底、わたくしには理解できないことです。
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少し話がずれてしまいましたが、誠意のない社会というのは悲しいものです。
昨日、わたくしは、「1年1ミリシーベルトという基準は間違っている.1年100ミリシーベルトまで大丈夫」と言っておられる複数のお医者さんの論説やテレビでの発言を調べてみました。
わたくしが、このことでどのように考えたかは、また次回にお話をしたいと思いますが、ここでは、「科学者としてのわたくし」がいつもどのようにものを考えているかということをお話したいと思います。
・・・
科学というのは難しいもので、常に事実を見つめ真実を追求するのですが、人間なので間違いだらけでもあります。
わたくしが学生に話する例は次のようなものです。
「ニュートンが生まれる前、物が落ちるのは地下の悪魔が引っ張ってると言っていた。
ニュートンが生まれた後は質量によって決まり、万有引力と説明した。
アインシュタインが質量を持たない光が重力によって曲がるということ明らかにすると、そこでまた空間のゆがみが登場した。
最近では、それらをすべて否定して引力はエントロピー増大で説明するのが適切だという学説が有力である。
だから、現在、正しいと信じていることは間違っている」
と言います。
なかなか難しい議論ですが、科学者は常にできるだけ厳密な方法で正しい結論を導き出そうとしますが、同時にその「正しい結論」というのは、100年もたてば全く別のものになってしまうことも承知の上です。
「正しいけれども間違っている」という相矛盾した二つのことを科学者は同時に頭の中にいれられます。
・・・
その意味で放射線による被爆と人体への影響ということを考えるときに、現在の知見(正しいこと)は、1年に1ミリシーベルトを浴びるとかなりのがん患者が出るということであり、また将来はそれが「さらに厳しくなるか、または緩和されるか」は判らないということです。
もう一つは、たとえ自分の考えと違っても、常に自分の考えを否定し、反省し、自分とは反対の結果を勉強するということも科学者としてはなくてはならないことです。
その点で日常の生活と科学的な考え方というのは、少し離れています。今度の福島原発のことは科学的な内容が多かったので、多くの人が「日常と科学」という点で混乱し苦しんだ原因にもなっているのではないかとわたくしは思います.
科学は十分に咀嚼して発信する責任があるのでしょう。
(平成23年5月10日 午前10時 執筆)
武田邦彦
引用元頁:http://takedanet.com/2011/05/110510_9f92.html
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「原発論点7 原発の4重苦」
中部大学の武田邦彦さんのブログからの転載です。
引用元頁:http://takedanet.com/2011/05/post_b941.html
原発論点7 原発の4重苦
浜岡原発の運転休止が決まって、急に、原子力発電所をこのまま使い続けるかという議論がおきています。
考えてみますと、仮に現在、日本で用いられている「軽水炉」という原子炉が安全だとしても、原子力発電所にはいろいろな問題点があることに気がつきます
・・・・・・
第1の問題点は、原子炉自体が安全でも、今回の福島原発のように電源系が失われたり、さらに、タービン建屋の中にある熱交換器が損失したりしますと、原子炉を冷やすことができず、福島原発のような事故になることがわかりました。
その他、原子力発電所は原子炉や冷却系、電源だけで成り立っているわけではなく、制御系やその他の機械の集合体なので、「どこが破損すると全体の機能が失われるか」について、もう一度チェックしてみないといけないことがわかりました。
青森県の東通原発は、震度4の地震で全部の電源を失いました。
ディーゼル発電機が動かなかったのは部品のつけ間違いでしたが、そのような人間のミスも含めて、震度4の地震で全ての電源を失うというような事態が起きているのです。
・・・・・・・・・
第2は今回の事故で有名になった「想定外」の問題です。
この「想定外」の問題には二つ内容があります。
ひとつは東京電力が想定したらその範囲外の時には大きな事故になるということ。
第二に、もともと人間が考えられる想定外が起こると事故に繋がるということ。
普通の意味で「想定外」といいますと、科学といっても無限には予想できないので、考えられない範囲が起こるという(善意の)意味があります。
しかし、今回の福島原発の事故は、人間が考えられない範囲という程大げさではなく、単に「東京電力が考えた範囲外」だったということだったのです。
それに加えて国民の代わりに、原発の安全性を見ていたはずの保安院が全くチェックしていなかったということも明らかになりました。
福島原発の事故が起こった後も、この想定外の問題は残されています。つまりすべての
「日本の原発は想定外が存在し、その想定外が起こった時はほぼ現在の福島原発のような事故になる」
ということがわかったからです。
ところが、福島原発と同じように三陸沖の地震に見舞われた女川原発は、破壊されませんでした。だから、設計は悪くなかったという見方もあります。
しかし、これは偶然です。
予想された津波の高さは、女川でも福島原発とほぼ同じ6メートルから7メートルでしたが、東北電力の設計者が慎重だったために、15メートル程の高台に立てたので破壊を免れたのです。
つまり、たまたま東北電力の中に慎重な設計者がいたとか、東北電力が高台に土地を持っていたということによって、女川原発は破壊を免れたのです。
こんな偶然が重ならないと原発の安全性が守られないというのでは、安心してはいられません。
しかも、論理的にも「真の意味の想定外」の時にどのように原発を守るかということについて全く議論が進んでいません。
・・・・・・・・・
わたくしも最近まで原発の危険性というのは、
第1に、原子炉だけを守って電源や熱交換器等のその他の機械について安全性が十分に確保されていなかったこと、
第二に、想定外のことについてどのように安全性を確保するかということ、
の二つが重要なことであると考えていました。
ところがそれでは甘いことがわかってきました。
つまり、原発の危険性の第3は、原発に事故が起こった時に、誰が住民を避難させるのか、どうしたら安全性を確保することのかについて、何のシステムも対策もなされていないということです。
あるところで、自治体と電力会社の会議がありました。
その会議で、わたくしは次のような質問をしました。
1.
もしも原発が事故を起こし、水源が汚れて市民が水を飲めなくなったときに、電力会社は
住民 のためにペットボトルを用意していますか?
2.
もしも原発が事故を起こし、児童が被曝しそうになったので、疎開させようということになっ
た時に備えて、電力会社は疎開先の学校を準備していますか?
3.
もしも原発が事故を起こし、土地が汚れたときに、電力会社は土地を綺麗にしにきてくれ
ますか?
わたくしのこの三つの質問に対して、電力会社はいずれも「ノー」と答えました。
この答えは、福島原発の事故の状態を見ているとはっきりとわかっていることでもあります。
そこでわたくしはさらに確認のために、
「電力会社は原発を運転しているのに、原発が事故を起こして汚いものが広く散らばってもそれを片付けようという意思はないのですか?
それは法律的に義務がないという意味ですか、それとも、企業の社会的責任として、行わなくてもいいというお考えですか。」
これに対しては電力会社は答えてくれませんでした。
現代の社会でちゃんとした会社が自分の製品が欠陥であっても、知らないかをするということは、ほとんど考えられません。
しかしそれが、原発では現実なのです。
しばらくたって、電力会社の人は、「損害が起きた時の訴訟の対象は電力会社で、それは全部引き受ける積もりです」とお答えになりました。
そこで私が、「被爆をして被害を受けてから損害賠償しても意味がないのではないか、むしろ被爆をしないように全力を尽くすべきではないか」と申上げました。
その後の議論は割愛するとして、会議が終わったとわたくしは自治体の人に、
「それでは住民を助けるのは自治体の役目でしょうか?」
と聞きました。自治体の人は、
「毎日、住民のサービスをしているのですが、法律的には地方自治体には原子力関係の危険を防止するような仕事ができないのです。
原子力関係はすべて国がするようになっているのです。」
とお答えになりました。
つまり現在の日本では、これだけの数の原発があり、福島原発のような事件が起こっているにもかかわらず、原発事故が起こっても、電力会社も自治体も住民を救うことができないというシステムなのです。
人間のやることには何か間違いがあることがあります。その時に、その損害をできるだけ小さくするようにする手段があります。
例えば海の上を航行する船は、時々、遭難をしますが、必ずボートで逃げられるようになっています。ボートで全員が救われるとは限りませんが、かなりの数の人がそれで命が救われるのです。
ところが、原発にそういうシステム自体がないということになると、どんなに安全に作っても危険であるということになります。
無条件で危険となります。
これだけをとっても現在、日本の原発は「安全なものを一つもない」ということが言えると思います。
・・・・・・・・・
4
番目の危険は、さらに人間に強く関係しています。
それは、ウソというと少し表現が強すぎますが、放射線による被曝を少なく見せたり、原発で起こっていることを軽く表現したり、またこれから起こりそうな危険が生じても、できるだけ外部に知らせず内部だけで処理しようとすることです。
一つの企業が自分の会社を守るために、できるだけ隠すということは当たり前のように思いますが、私が若い頃ある化学工業に勤めた時には全く違いました。
新入社員のわたくしは何回も教育を受けましたが、
「仮に、どんなに小さな小火(ぼや)が起き、それを自分で消せると思っても、まずは消防に電話をしろ」
と教育されました。
その工場は大きかったので、工場の中に2台の消防車が常駐してましたが、そこに電話するのではなく「市の消防署に電話するように」との教育を受けたのです。
その理由は、
「わたくしたちの工場は社会的存在であり、社会の人に危険を及ぼしてはいけないので、何が何でも市の消防に最初に通報し、そのあと、工場内の専用消防に電話をしろ」
と言われたのです。
これが今から40年程前であることを考えると、現在の方が社会における企業の責任が後退しているように感じられます。
・・・・・・・・・
せっかく日本社会に良質の電気を供給できる原子力発電も、また、もし原子力発電の技術が向上して安全な原子力発電ができたとしても、このような4つの大きな欠陥を持っているようでは、安全な原発とは到底言えません。
その多くは人災としての意味を持っています。
つまり、現在の原発問題は、原発自体の技術問題もありますが、それより多くが「社会のひずみ」がもたらしているもの、社会が「誠実性」を欠いているところに真の問題点が存在すると考えられます。
その中でも、「事故が起きても国民を守る担当が決まっていない」ということが長く続いてきたのは、一体何を意味しているのでしょうか。
このような状態では、高温ガス炉でもトリウム溶融塩炉でも「安全な原子炉」などというものはあり得るはずもないのです。
(平成23年5月9日 午後10時 執筆)
武田邦彦
引用元頁:http://takedanet.com/2011/05/post_b941.html
soranimukatte_23 at 00:50|Permalink│
2011年05月09日
「福島原発の不安」
中部大学の武田邦彦さんのブログからの転載です。
引用元頁:http://takedanet.com/2011/05/post_c092.html
福島原発の不安
5月8日、1号機の二重扉を開けるときに、ある程度の放射性物質が出ると予想され、それが不安を呼んでいました.
そこに、8日未明に福島原発の映像に白いモヤがかかり、なにかの放出物が出た心配され、不安がさらに加速したようです。
それに加えて3月から4月にかけてはNHKが原発の不安を煽っていたのに、急に報道を縮小したことも問題でした。
つまり、多くの国民は、これまでの報道を見ていて、
「NHKは、何も起こっていないときには微に入り細に入り、原発のことを放送するけれど、危険になったら報道を止めるだろう」
との確信を持っているからです。
これからも、NHKは「原発が危な区なると報道を控える」という態度で終始するでしょうから、NHKを見ることはむしろ危険になります.
・・・・・・・・・
ところで、このブログで再々、書きましたように、今回の福島原発の状態を一言で言えば、
「地震による破壊直後から、全ては科学的に進んでいる」
ということで、さらに踏み込んで言いますと、
● 2006年の地震指針で決めたとおり、
● 電力会社が勝手に決めた想定外の場合に起こるとおり、
に事態が推移した」
といってもそれほど間違っていません.
つまり、今のところ、「ひどい状態」ですが、科学的に見て「意外なこと」は起こっていないのです.
また原子炉は不安定ですから、今後も、「燃料の崩壊、溶融」などが起こる可能性もありますが、よく言われる「メルトダウン」というような状態にはなりません。
かりに、燃料の崩壊が起こると、東電の収集作業としてはかなりの影響がありますが、私たちにとって「放射線が大量に漏れて、また避難しなければならない」という可能性は少ないと思います.
万が一のために準備をしておくことは必要でも、その可能性が低いことも合わせて理解しておいた方が良いでしょう.
・・・・・・・・・
今回の1号機からの漏洩でも、漏洩量は「億ベクレル」の単位です.普段なら大変なことなのですが、すでに福島原発からは「京ベクレル」の単位の放射性物質が漏れていることと比較すると、「1億分の1以下」です.
福島原発から京ベクレルの放射性物質が漏れたことはとても大変なことですが、これからの漏洩量はそれから見ると少ないという皮肉なことになっているということを示しておきたいと思います.
このことは、
「すでに漏れたものが、身の回りに「1億倍」もあるので、それからの被曝」
の方が重要で、福島原発のことはそれほど私たちにとって重要では無くなったことを示しています.
(平成23年5月9日 午前8時 執筆)
武田邦彦
引用元頁:http://takedanet.com/2011/05/post_c092.html
soranimukatte_23 at 14:43|Permalink│
2011年05月08日
”原発論点5 原発の「安全性」を決めるもの”
中部大学の武田邦彦さんのブログからの転載です。
引用元頁:http://takedanet.com/2011/05/post_e6ad.html
原発論点5 原発の「安全性」を決めるもの
5月8日、福島原発で次の措置のために若干の放射性物質がでます。
でも、私たちに取って危険なものではありません。それは、私たちにとっては「すでに福島原発事故は終わっている」からです。
ただ、東電ではまだ作業が続きますが、それは私たちには関係がないことです。このブログでは3月下旬に「すでに福島原発では大きな変化は起こらない」としていますが、徐々に静かになっていくのを見て行くだけです。
私たちが直面している問題は、この事故が起こってから終始、「放射線から子供達をどのように守るか」ということで、それは「子供がもっとも被曝しやすい」ということと、「子供を守れば、妊婦も含めて大人を守ることができる」からでもあります。
今、もっとも大切なのは、
1) 子供を公園に連れて行かない、
2) 子供を雑草や芝生に近づけない、
の2つでしょう。
・・・・・・・・・本論・・・・・・
原発は次の段階に進みつつある.
このブログでも「社会を混乱させる放射線医学・防御の専門家」というのを書いたが、この問題をもう少し深く考えてみる.
福島原発事故が起こる前、放射線防護の専門家とマスコミは、次のように言っていた.
1. 1年1ミリ以上の被曝は確率的にガンを発生させる、
2. 原発からの放射性物質の漏洩は量によらず大変なことである、
ところが、事故が起こると、突然、
1. 1年100ミリまで大丈夫である、
2. 柏崎原発事故より20億倍の放射線が漏れても健康に影響がない、
と言い出した。このぐらい大きく変わると、「原発の安全性」も考え直さなければならない。
・・・・・・・・・
たとえば、熱を発するものの設計をするときに、「人間は60℃でやけどをする」というのと、「人間は1000℃までやけどをしない」というのでは考え方も、設計が違う.
それも突然、事故が起こったからというだけで、やけどをする温度が60℃が1000℃になると言うのでは、安全もなにも考えることが出来ない。
もし、多くの「放射線の専門家」が言ったように「1年100ミリまで安全だ」というなら、私は再び「原発推進派」になることができる。
浜岡原発も「危険」から「安全」に変わる. まして、大阪のテレビに良く出ていた医師の言われるように「放射線はあびるほど健康になる」というなら、さらに積極的に原発を進めることができる。
日本のエネルギー問題も無くなるし、これまで何を目的に「安全な原発」を考えてきたかも判らない。
原子力の関係者はすべてのことを「1年1ミリ」と「人間は放射線をあびない方が良い」という前提で研究をしてきた。
それは原子力の関係者が言ってきたことではない。放射線医学や防護の人から習ってきたことだ。
それが逆というなら、まったく異なる世界になる。
・・・・・・・・・
マスコミも同じだ。
NHKは「1年100ミリまで大丈夫」という人をたびたび登場させた。
朝日新聞は「人間は100人に30人がガンで死ぬのだから、0.5人が放射線でガンになっても問題ではない」という記事を女性記者が書き、大きく掲載した。
それなら、原発の安全性はまったく変わり、日本の原発は安全になる.
でも、これは放射線医学と防御の専門家が決めることであって、私でも電力会社でもない。だから、シッカリして欲しい。
・・・・・・・・・
再度、呼びかけたい.
放射線医学と防御の専門家の皆さん!!
一体、1年1ミリなのですか? 子供が1年20ミリなのですか? 1年100ミリなのですか? どっちなのですか??
それによって、私たちの判断も生活も180度変わるのです!!
あなた方の判断と発言はそれほど大きな意味を持っているのです!!
すぐ、結論を出してください。
「真実」であるかどうかではなく、「事故前の1年1ミリ」と「事故後の1年100ミリ」の差の理由だけでも結構です。
それがすべてのスタートですから。
・・・・・・・・・
政府の人へ。
もし、福島の子供が「1年20ミリ」まで安全なら、浜岡原発を止める理由はありません。
福島の子供が放射線に強く、静岡の人が放射線に弱いということはありません。誠実な心を持ってしっかりやってください。
(平成23年5月8日 午後2時 執筆)
武田邦彦
引用元頁:http://takedanet.com/2011/05/post_e6ad.html
soranimukatte_23 at 14:33|Permalink│
2011年05月07日
「社会を混乱させる放射線医学・防御の専門家」
中部大学の武田邦彦さんのブログからの転載です。
引用元頁:http://takedanet.com/2011/05/post_308e.html
社会を混乱させる放射線医学・防御の専門家
福島原発の事故が起こって、わたくしがびっくりしたことの一つに、放射線医学もしくは防御の専門家が、これ程大きくその考え(および発言)を変えるとは思っていなかったことです。
わたくしは、原子力の燃料を研究し始めた若い頃、放射線の仕事をする限りは、放射線と身体のことをよく勉強しておかなければいけないと思い、第1種放射線取扱主任者という試験を受け、免状をもらいました。
この資格は、放射線を取り扱う専門家にとっては、最もレベルの高い資格で放射線を取り扱うところは、必ずこの資格を持った人がいなければいけないことになっています。
でもわたくしは、放射線と人体の関係を「研究する」という意味では、専門家ではありません。わたくしはあくまでも原子力関係の専門家であり、その仕事をするに必要なものとして放射線取扱主任者の試験を受けたのです。
・・・・・・・・・
わたくしは、福島原発事故が起こってから「1年に100ミリシーベルトまでは大丈夫だ」と言っている「その人たち」に、長い間、真逆のこと、つまり「1年に1ミリシーベルト以上は危ない」と教えられてきたのです。
放射線医学の専門家は、自信を持って次のように話してくれました。
「放射線による人体の障害は2種類あって、100ミリシーベルト以上では、放射線に被爆した人に何らかの障害が出る。明らかに出るのは250ミリシーベルト程度である。
これに対して100ミリシーベルト以下の被爆では、確率論的に患者が発生する。確率論的とは1人の人が被爆したから、その人が発症するというのではなく、10万人の集団が被曝すると、その中から確率的にある数の患者が出るということである。
確率論的に患者が出るかどうかということについては、長く議論されてきたが、1990年の ICRP の勧告以来、国際的には確立しており、日本の法律もすべてそれに準拠している。
放射線では確率論的に患者が発生するということを頭に叩きこんでおかなければならない。」
わたくしにこのように教えてくれた先生がたは、福島原発の事故が起こると突然、態度を翻し、
「武田は専門家でもないのに、いい加減なこと言って人心を惑わしている」
と言い出したのです。
わたくしは年でもあるので、わたくし自身が批判されることについては全く気にしていませんが、とにかくビックリしました。
そして、この発言が多くの人を惑わし、また政府の政策を狂わせた原因にもなっています。
・・・・・・・・・
もしも放射線の専門家が20年間にわたってわたくしに教えてくれたことをそのまま社会に発信していたならば、政府は「1年に1ミリ以上は危険である」という国際基準と国内法を守る政策を採ったでしょう。
それはとてもすっきりしているので、1年1ミリ以上になる可能性のあるところには、政府が数1000台のバスを手配して(ソ連がそうだった)避難することができたでしょうし、多くの人は一つの基準を守って安全な生活をすることができたと思うからです。
・・・・・・・・・
多くの放射線医学の専門家や放射線防護に携わっている人が真面目な人であるということは、わたくしはよく知っています。
だからこそわたくしは驚いています。
確かに個人的には、確率論的な患者の発生に対して批判的な学者もいましたけれども、全体としては完全に一致していたのです。
その一つの証拠として、わたくしのところに放射線医学の専門医になるための国家試験問題を送ってくれた医師の先生がおられます.
国家試験では「確率論的に患者が発生する」ということが正解である問題が毎年のように出ていたこと示していました。
国家試験に出るような確実な問題なので、それを福島原発の事故が起こったからといって、急に180度転換するというのは極めて奇妙なことです。
・・・・・・・・・
今からでも遅くはありません。
放射線医学もしくは放射線防護の学会や研究会は多くあります。
できるだけ早く臨時大会を開き、「確率論的に患者が出るということを否定する」のか、もしくは「従来の立場を貫く」のか、その理由は何か、それを社会に発信しなければなりません。
社会はこの関係の専門家の発言のために、大きく揺れ、また被爆者を出すことになりました。
早く「専門家集団としての見解」を明らかにして欲しいと思っています。
(平成23年5月7日 午前11時 執筆)
武田邦彦
引用元頁:http://takedanet.com/2011/05/post_308e.html
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「子らよ・・・」
中部大学の武田邦彦さんのブログからの転載です。
引用元頁:http://takedanet.com/2011/05/post_29ef.html
子らよ・・・
父は剣をとって敵と戦い、武運つたなく斬り殺される. そして君もまた父に殉じる.
爆弾が頭上に落ちるとき、母は君を胸に抱いて爆弾に背を向ける. そして母は焼け焦げ君もまた命を落とす.
何も出来なかったじゃないかと言わないでくれ.
それで良いのだ. 君は父と母の愛のもとで眠る.
・・・・・・・・・
郡山の父、伊達の父は校庭の表土を除いた。君は26ミリシーベルトから8ミリシーベルトになった。
君は父を尊敬するだろう.
母は君を抱いて走った。知らない土地、辛い仕打ち、乏しい財布、その中で必死に逃げ、そして今、郷里に帰った.
母の心は痛んでいる. もう少し逃げたかったが・・・それは出来なかった. だから君の母は自らを責めている.
君は母を愛するだろう.
人は万能ではなく, 人には出来ないことがある. 君もそれは承知だ.
人ができること、それは爆弾が空から降ってこようと、目に見えぬ放射線が体を貫こうと、愛する子のために我が身を犠牲にすることだ.
・・・・・・・・・
私たちには希望がある. それは全力を尽くした後に、子らが私たちを見つめる感謝の心.
私たちは、決してくじけることもなく、決して自らを責めることもない.
私たちは、爆弾に背を向ける母のように全力を尽くすことができ、それで子らは満足する.
(平成23年5月3日 夕暮れの郡山にて)
引用元頁:http://takedanet.com/2011/05/post_29ef.html
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2011年05月05日
「原発論点2 1年100ミリ問題と原発の安全性」
中部大学の武田邦彦さんのブログからの転載です。
引用元頁:http://takedanet.com/2011/05/post_ca91.html
原発論点2 1年100ミリ問題と原発の安全性
福島原発事故が起こる前までには、世界の放射線の安全の基準は「1年1ミリシーベルト」であった。それに基づいて日本の法律も原発の安全性もすべて決まっていた。
ところが、福島原発事故が起こった直後、政府は1年100ミリを越える放射線性物質が出ているにもかかわらず、「直ちに健康に影響はない」と繰り返した。
政府ばかりではない。 NHK、朝日新聞をはじめとしたメディアも「1年100ミリまでは安全だ」という専門家を登場させた。
その中には、大阪のある医者で「放射線はあびればあびるほど健康になる」といい、福島市に顧問として招かれた放射線医学の専門家も「1年100ミリまでは全く問題ない」との発言を繰りかえした。
専門家の発言でもあり、立派なテレビ局が報道したので、それが現行の法律違反であることを知らされていない国民が信じたのも無理はない.
・・・・・・・・・
でも、このことの是非を問うものではない。「1年100ミリ」の問題を深く考えてみたいと思う.
仮に被曝が1年に1ミリまで大丈夫であるなら、原子力発電は安全になるからだ。
軽水炉の場合、原発が事故を起こしても、付近住民が1年に100ミリ の被曝をすることは希であり、現在のように危機が訪れている時(間違ったら人体実験になる時期)にも、政府、NHK、そしてこれほど多い放射線医学の専門家が「1年に100ミリまでOK」と言うなら、原子力発電所は安全な発電ということになる。
つまり、かなりの確信がないと住民が被曝している最中だから、その責任は極めて重たいからである.
・・・・・・・・・
原子力発電所が危険とされるのは、事故の時にそこから漏れる放射線によって被曝するからである。
そして、被曝と言っても程度問題で、
● 1年に1ミリとまでなら原子力発電所は危険、
● 1年に100ミリまで安全ならば、原発は安全な発電方法、
だからだ。
私が2006年の地震指針決定から「安全な原発推進」から「原発が不安全だから批判」に代わり、さらに2011年の事故で「原発反対」になったのは、1年1ミリが前提である。
・・・・・・
今回のことで、原発が安全な発電方法か危険なものかは思想問題ではなく、また技術問題でもなく、放射線医学の問題に還元した。
今まで、国際放射線防護委員会や国内の放射線に関する委員会で常に言われてきたことは、「1年に1ミリ以下」ということだった。
それを受けて、私のような原子力の方は安全性を強く意識したのである.
でも、放射線医学の先生が、「1年に100ミリまで安全だ」と言われるならば、今までの安全議論はバカらしいもので、私も何を悩んできたのか判らない。
・・・・・・・・・・
意地悪でも意図的でもないが、今回の福島原発の後に「1年に100ミリシーベルトまで大丈夫だ」と言った専門家の先生を集めて国の委員会を開き、それを公的に確定する.
国内法(文科省、厚生労働省所管の法律など多数)を改正し、大幅に「汚染物質」も減り、「管理区域」もなくなる。
これまでの放射線による障害の労災認定も取り消されることになるし、原子力施設は「安全な施設」に代わる.
でも、放射線の人体に対する影響は世界的なコンセンサスが必要である。
外国旅行をするとか、外国で食事をする、もしくは外国で水を飲むというときには、世界の人が放射線の安全性についてのコンセンサスが必要とされる。
従って、国内で1年に100ミリまで大丈夫であるというコンセンサスが得られたら、国内法の改定と並行して、国際的な活動をして世界を説得し、世界的に1年に100ミリの基準を確定しなければならない。
それができたら、日本の原子力発電所の安全基準を変更し、付近住民が100ミリまで被爆しても良いという基準に直す必要がある。
わたくしの考えでは、付近住民が100ミリまで被爆してもいいということになると、現在の地震指針にわずかな改正(事故時の対応)だけを加えることで原子力発電所は極めて「安全」に日本国内で運転することができるであろう。
エネルギー問題も考え直さなければならない。
・・・・・・・・・
時に「武田は放射線医学の専門家でもないのに、1年1ミリなどと言うな!」と罵倒されるが、私は今まで放射線医学の専門家が「放射線はあびない方が良い。1年1ミリが限度だ」と言われるので、それを理解してきた。
もちろん、責任ある立場で仕事をしてきたのだから、私は「個別の因果関係では1年100ミリから障害がでること、それ以下では確率的にガンなどの発生が見られること」をデータなどで確認して納得してきた。
それが間違いなら、もう一度、原発の安全性もエネルギー問題もやり変えなければならない。
「1年100ミリ」と言っているNHK、朝日新聞、そして学者(主に放射線医学)の方は、
1)
なぜ、これまでと180度違うことを言い出したのか?
2)
本当にこれから1年100ミリで良いのか?
について、早急に声明を出して欲しい.そうしないと私たちのこれからの多くの努力も無に帰する.
(平成23年5月5日 午前11時 執筆)
武田邦彦
引用元頁:http://takedanet.com/2011/05/post_ca91.html
soranimukatte_23 at 14:03|Permalink│
「東京 3月15日 と 5月15日」
中部大学の武田邦彦さんのブログからの転載です。
引用元頁:http://takedanet.com/2011/05/to_7db5.html
東京 3月15日 と 5月15日
福島原発の爆発があって1日後、東京の空気中の放射線は急激に上昇し、新宿などで1時間あたり1マイクロシーベルトに達していました。
この放射線は福島原発から直接、東京にいる人の体までやってきたのではありません。もし、そうなら放射線は光の速さですから一瞬にうちに来ています。
でも、福島原発から放射性物質のチリが舞い上がり、それが風に乗って東京に来たから1日も経ったのです。
東京で空気中のちりの中の放射能濃度がもっとも高かった3月15日10時から11時に、東京の空気中に浮かんでいたチリは(立方メートルあたり)、
ヨウ素131が241ベクレル、
ヨウ素132が281ベクレル、
セシウム137が60ベクレル、
セシウム134が64ベクレル
でした(放医研データ)。
爆発直後だったので、半減期が8日のヨウ素131と、半減期1時間あまりのヨウ素132が同じぐらいの放射線を示します.
また、半減期2年のセシウム134と半減期30年のセシウム137も同じぐらい測定されています.
・・・・・・・・・
この1時間に東京の人が呼吸することによって被曝する量(被曝期間についてはややこしいので割愛しますが、値は1時間あたりです)は、
ヨウ素131 : 1.65マイクロ
ヨウ素132 : 0.0244マイクロ
セシウム137 : 2.16マイクロ
セシウム134 : 1.18マイクロ
で、合計 5.0マイクロシーベルトにもなっていました(成人、呼吸量22立方メートル、ヨウ素132は係数が低い)。
つまり、外部から1マイクロ、呼吸によって体内に取り込まれた放射性物質による被曝が5マイクロで、合計6マイクロだったことが判ります.
外部被曝より内部被曝が多いことに注意してください。
1年は8760時間ですから、6マイクロに8760をかけると、
東京の人の一年の被曝量予想・・・53ミリシーベルト(1年)
という危険な値だったのです.
私が東京から離れるか、もしくはマスクをつけて口から入る放射性物質を防ぐことが大切と言っていたことに相当します.
・・・・・・・・・
ところが、それから2ヶ月(まだ2ヶ月は経っていませんが)、東京の空気中の放射線量は、0.07マイクロ(毎時)で、空間線量率は、ヨウ素131が0.0007ベクレル(立方メートル)、ヨウ素132は測定出来ないほど低く、セシウム134が0,0021、セシウム137が0,0020になっています(公的データだからやや信頼性に不足する)。
2ヶ月で二つの公的データは、1万倍以下になっていることが判ります。
すでに東京では「マスク」は不要になり、食材を注意していれば、空間からは1年に0.6ミリシーベルトの被曝を受けるに過ぎません.
「原発事故は最初の一撃を避ける事」という大原則がデータでも実証されました。政府は国民に逆のこと(最初は「健康に影響はない」、4月に入って「健康に注意」)を言っていましたが、問題でした。
ところで、1年の推定被曝量は、
1)
3月に東京にいてマスクをしていなかった人: 2.6ミリ
2)
3月に東京にいてマスクをしていた人: 0.7ミリ
3)
3月に東京から避難していた人: 0.6ミリ
となります。限度が1ミリですから、3月に東京から離れた人は、これから0.4ミリ分の放射性物質を含んだ食材を食べる「余裕」があるとも言えます.
わずかな期間ですが、最初が肝心です。
(平成23年5月5日 午前10時 執筆)
武田邦彦
引用元頁:http://takedanet.com/2011/05/to_7db5.html
soranimukatte_23 at 13:57|Permalink│
2011年05月04日
「東電に電話してください。ご遠慮は要りません.」
中部大学の武田邦彦さんのブログからの転載です。
引用元頁:http://takedanet.com/2011/05/post_ef20.html
東電、役員報酬5割減でも平均2000万円超 「無給が筋」続々(産経新聞 5/4)
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/business/snk20110504083.html
東電に電話してください。ご遠慮は要りません.
各地で放射性物質で汚れた土の除去作業や道路の洗浄作業が始まっています。
ある市では校庭の表土を取ったら、放射線量が約半分になったと言われています.素晴らしいことです.綺麗な福島への第一歩です!
・・・・・・・・・
今回の福島原発の事故で、まだ放射線の高いところがありますが、私は1年1ミリシーベルト以下にするように政府と東電は全力を注ぐべきと思っていますが、作業は遅く、地元や個人で放射線を減らす努力が行われています.
しかし、「汚れた土を除く」ということは「汚れた土が発生する」ことを意味しています.
この場合は、東電に電話すれば良いと考えられます.
・・・・・・・・・
人間には過ちもあります。
ある家が誤って「汚いものをご近所にまき散らした」とします.まず、その家の人はご近所に謝りに行き、自分で持って行けるものは持って行くでしょう.
お隣が、その汚いものが付いた土や紙を拾えば、お隣に電話して取りに来てもらうか、自分でお隣に持って行くでしょう.
今回の東電の誤りは許されないことかも知れません。でも、人間は誤りはあるのですが、それを起こした後の態度の方がもっと大切です.
校庭の表面の土を取り除いて、まずその土を校庭の脇に積んでおき、次に東電に電話します.おそらくは東電は「菓子折」ぐらいは持ってきて、頭をさげ、すぐその土を持っていくと思います.
・・・・・・・・・
東電の役員は今年も一人2000万円の年俸をもらうと言うことです。
まだまだ東電には余裕があります。これまですでに平均年間4000万円の報酬を受け取っていたのですから、貯金もかなりあるでしょう.
今年はゼロかマイナスと思っていました。でも一人2000万円はあるのですから、菓子折やトラック代は出るはずです.
東電役員だけではありません。部長クラス以上は裕福な生活をしていて、20%カットに止まっています。
「被害を受けた人が、なけなしのお金から旅費を出して逃げ、被害を出した人が年俸2000万円!?」
そんな社会があるのでしょうか?
私は普段、あまり人の収入などはいわないようにしていますが、これだけ福島の人が苦しんでいるのに、計画停電で困っているのに、2000万円はありません。でも彼らはまだ自分たちがしたことが判っていないのです.
・・・・・・・・・
東電は土地を持っています.しかもこのような時に「敷地境界は年間50マイクロシーベルトにする」という規定もあります。
また、技術的には原発を廃炉に出来、かつ法律的にもクリアランス・レベルというのがあるのですから、汚染された土、瓦礫、水などを集めて、原発の廃炉と同じ技術で処理をすれば良いのです。
技術も法律も、土地も、なにもかもあります。後は東電が「日本人がもっている美徳・・・過ちをしたら謝って自分の責任で処理をする」という行動を取るかどうかにかかっています.
(平成23年5月4日 午後1時 執筆)
武田邦彦
引用元頁:http://takedanet.com/2011/05/post_ef20.html
東電、役員報酬5割減でも平均2000万円超 「無給が筋」続々(産経新聞 5/4)
http://news.goo.ne.jp/article/sankei/business/snk20110504083.html
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2011年05月03日
「原発連休明けの生活(8) 水」
中部大学の武田邦彦さんのブログからの転載です。
飲用元頁:http://takedanet.com/2011/05/post_7af2.html
原発連休明けの生活(8) 水
水道については、国際的には国連のWHOが基準を決めて、日本では政府の指導のもとで水道協会が同じ内容の「ガイドライン」を出しています.
一般人の被曝限度は「1年1ミリ」なので(国際勧告と国内法)、水道協会は、その10分の1の1年間0.1ミリで設定しています.
これは、水道の他に外部、チリ、食材などからも被曝を受けるので、水道は基準値の0.1ミリにしておかないと全体が規制値をオーバーするためです。
そこで、ここでも日本水道協会のガイドラインを使って、どの水道が危険かを調べました。
なお、日本の役所のなかで水道は極めて正確、真面目で、これまで水道関係者(水道マンと言う)が、汚い水道を家庭に送ったり、ウソを言ったりしたことはほとんどありません.
世界的に「安心して水道が飲めるのは7ヵ国」と言われますが、もちろん、日本はそれに入っています.
・・・・・・・・・
まず計算式ですが、水道に含まれるヨウ素とセシウムのベクレルが判るときには、簡単に示すと、飲む水は1日600cc、つまり0.6リットル(0.6キログラム)ですから、
(ベクレル)×0.6×365日×2/100000=(ミリシーベルト)
でベクレルを入れて、ミリシーベルトが0.1ミリ以下なら大丈夫ということになります。
たとえば、水道水に20ベクレルのヨウ素とセシウム(合計)が入っている場合は、計算結果は0,09ベクレル、つまり、わずかですが水からの被曝限度の0.1ミリシーベルト以下になります。
その点では、福島、茨城以外の県では水道を安心して飲むことができるようになりました。
・・・・・・・・・
神経質な方で、飲み水ばかりではなく、調理、煮物、味噌汁、はみがき、洗面など直接、顔や口に接する量は1日2リットルになりますから、たとえば、
10ベクレル×2×365×2/100000=0.15ミリシーベルト
になりますから、10ベクレルでも水からの被曝が危険領域に入ります.
この場合は、7ベクトル以上の県は危険となり、福島、茨城、栃木の水道は飲用や調理などに使わない方がよいということになります。
これらのことから、飲用と調理のように直接、体の中に入る水だけを注意するのが適当で、おおよそ10ベクトルが目安になります。
連休明けでは福島、茨城の北部、栃木の一部だけはペットボトルが良いでしょう.
もし、さらに下がってきた場合は、ブログで紹介します.
(平成23年5月3日 午後1時 執筆)
武田邦彦
飲用元頁:http://takedanet.com/2011/05/post_7af2.html
soranimukatte_23 at 15:01|Permalink│
2011年05月02日
「新聞記者、専門家など情報発信者に自制を促す」
中部大学の武田邦彦さんのブログからの転載です。
引用元頁:http://takedanet.com/2011/05/post_4df6.html
新聞記者、専門家など情報発信者に自制を促す
先日、あるテレビで、1年100ミリまで大丈夫という男性の医師や、女性の大学教授を全面に出して、「被曝は問題ない」と強調していました。
また、大新聞が大きな記事で、「1年間100ミリでも発がんはたいした事はない」と書いていました。
このような放送や記事があると、「どこまで安全なのか判らない」と不安になるのは当然でしょう.
・・・・・・・・・類似のこと・・・・・・・
あるテレビで、出来たばかりの高速道路の紹介があったとします。素晴らしい道路で、直線、見通しも抜群です.
でも、制限速度は時速100キロになっています。
そこで、アナウンサーが、
「素晴らしい道路ですね。こんな道路なら時速200キロでも大丈夫ですね」
と言い、傍にいた自動車愛好家が、
「そうです、私は300キロまで出しました」
と放送したとすると、もちろん「反社会的な報道」ということになるでしょう。
確かに、その道路は時速200キロ、もしくは自動車の運転が上手い人なら300キロまで大丈夫かも知れません.
でも、人の命に関わることですから、時速100キロと決まっていたら、100キロと言うのが正しく、100歩譲っても、
「この道路は、時速100キロですから、それ以上は速度違反です」
と言わなければならないでしょう.
つまり、法律や規則がなければ、自由に言っても良いのですが、制限速度が決まっていれば、それに触れるのが常識です.
・・・・・・・・・
こんな当たり前のこと(法律がある場合は、それに触れずに個人的な判断だけを言うのはルール違反)が、福島原発事故では無視されています.
1.
法律で決まっている「クリアランス・レベル」
原発や放射性廃棄物などで汚れたものは、クリアランス・レベルを下回らないと移動でき
ない。違反すると1年以下の懲役。 線量は1年に20マイクロシーベルトで、1年1ミリの
限度の50分の1。文科省所管の法律。
川崎市、愛知県の瓦礫の引き取りは法律違反で市長と知事は懲役1年未満になる可能性
がある。
2.
原発など放射線を発する施設の境界は1年50マイクロシーベルトまで(自主規制)、
3.
言わずと知れた「一般人1年に1ミリが限度」の法律(数が多い)・・・道路の制限速度のような
もの、
4.
職業人の「1年に20ミリ」の法律(数が多い)・・・成人男子、職業として、健康診断ありなどの
制限のもとで許される。
これだけ法律があるのに、NHK、大新聞などは法律があることすら触れずに「100ミリまで安全」などという専門家を出して、「被曝しても大丈夫」という宣伝をしている。
自由な意見を認めるとしても、最低でも「法律では1年1ミリになっています」、「この道路は200キロでも大丈夫かも知れませんが、制限速度は100キロです」と言うべきでしょう.
自制を求めます。
(平成23年5月2日 午前11時 執筆)
武田邦彦
引用元頁:http://takedanet.com/2011/05/post_4df6.html
soranimukatte_23 at 14:02|Permalink│
2011年05月01日
「なぜ、「規制値内」でも安全ではないのか?」
中部大学の武田邦彦さんのブログからの転載です。
引用元頁:http://takedanet.com/2011/05/post_0e56.html
なぜ、「規制値内」でも安全ではないのか?
「連休明けの生活」で私の野菜の計算がなかなか難航しています。
農水省やスーパーが安全だと言っているものを、わたくしが「連休あけの生活」を決めるために計算している理由は次のようなものです。
政府が「規制値内なら安全だ」と言い、自治体も教育委員会も、スーパーもみずから判断することをせずに、「政府が言っているから」と責任を回避しています。
・・・・・・・・・
ある子供が、学校に通っていて、校庭で「その子供としてはぎりぎりいっぱいの被曝量」、つまり1年間に1ミリシーベルとの被曝をしているとします。
現実に文科省は子供に対してより厳しい基準を決めていますので、子供は校庭でぎりぎりいっぱいの被曝をしている場合が多いと思います。
その子供が学校の給食や家で食事をするときに、さらに野菜から被曝を受けることになります。
・・・・・・・・・
こんなひどいことが起こるのは、役所の縦割り行政だからです。
「縦割り行政」というのは自分たちだけのことをしか考えず、受け手の人、この場合は子供のことは全く考えていません。
その結果、
1.
文科省は学校での被曝のことだけ、
2.
農水省は食事のときの被曝のことだけ、
3.
観光庁は旅行の時の被曝のことだけ、
しか考えていません。
つまり、お役人は自分の守備範囲で起こる被曝のことだけを考えています。
ところが子供にとって見れば、学校に行き、食事を食べ、修学旅行に行きます。
だから被曝というのは、「放射線を出す方」に基準を置いてはだめで、「放射線で被曝する方」の計算をしなければならないのです。
・・・・・・・・・
特にひどいのが文科省で、子供が学校にいる時だけのことを考え、しかも文科省の法律で決めていること・・・被曝は外部被曝と内部被曝の合計である・・・ということすら考慮していません。
だから文科省の基準に従うと学校に行っている子供は、もともと学校で基準以上の被曝を受け、さらに家に帰ったら、「食事もせず、呼吸もしない」という状態でなければならないのです。
もちろん給食やスーパーで売っている食材が、まったく放射線で汚染されていなければ大丈夫ですが、「地産地消」などと理屈を言って、放射性物質が含まれているけれど「基準内」という野菜を売ったりします。
そうすると、結果的に子供たちは学校でぎりぎりいっぱいの被曝をした後、家に帰ったら、食材から放射性物質をとり、呼吸したら、空気中の放射性物質をとるということになります。
つまり子供の立場に立ってみれば、学校での被曝の限度というのはその他の生活全部で受けるものを引いたものでなければならないのです。
・・・・・・・・・
わたくしが連休後の生活の指針で、計算しようとしているのは子供の立場に立って、生活を設計することです。
それは、ホウレンソウ一つだけが汚れている時ではなく、校庭も汚染されているし、水道も少しではあるけれども汚れているという時に、
「子供たちは一体、どのような生活を送ることができるか」
ということを計算しようとしています。
・・・・・・・・・
計算はなかなか難しいので、一部の読者の方にも応援をいただき、少しずつ前進しています。
また、子供を中心に計算するのは、
1.
大人よりも子供の方が地面に近く、よく運動すること、
2.
もともと放射線に対する感度が高いこと等、
から子供の例を計算しておけば、大人はより安全になるからです。
少しずつ進めていきますのでもうしばらくお待ちください。
(平成23年5月1日 午前8時 執筆)
武田邦彦
引用元頁:http://takedanet.com/2011/05/post_0e56.html
soranimukatte_23 at 13:50|Permalink│
2011年04月30日
「さらば!」
中部大学の武田邦彦さんのブログからの転載です。
引用元頁:http://takedanet.com/2011/04/post_f444.html
さらば!
「反原発派に取り込まれたのか!」
かつて原子力を共にやってきた仲間からがメールきた。
さらば! 原子力
原子力村に帰ることは、もう許されない。
それで良い。
・・・・・・
この世に生を受け、戦争の惨禍は両親に降り注ぎ、私は戦争のない日本で人生を終わることができた。そして長じて技術者になったが、私の願いは空しく潰えた。
すまない。申し訳なかった。私の思慮が足りなかった。
だから、攻撃は私の罪で受け止める。痛手が身にしみれば染みるほど、子供の被ばくは減る。
遙かに長い未来と夢がある。彼らの夢を壊してはいけない。
でも、久々に楽な気持ちになった。小学校の校庭が3マイクロから0.6マイクロに減ったのだ。万歳!!
・・・・・・・・・
私は何をしてきたのだろう?
電気があればテレビを見ることも出来る。石油は日本にないから原子力・・・浅はかだった。子供を被ばくさせたら、そんなことは何の意味もない.
福島の大地が綺麗になり、笑顔の生活が戻る日まで私はへこたれないぞ。
この野郎!!
(平成23年4月29日 午後10時 執筆)
武田邦彦
引用元頁:http://takedanet.com/2011/04/post_f444.html
soranimukatte_23 at 02:00|Permalink│
2011年04月29日
「超・ねじれ思考 児童の被ばくは多い方が良い??」
中部大学の武田邦彦さんのブログからの転載です。
引用元頁:http://takedanet.com/2011/04/post_b591.html
超・ねじれ思考 児童の被ばくは多い方が良い??
郡山市は市長の決断で、市内の小学校の校庭の表土を除き、子供達がすこしでも被ばくしないようにと努力した。
その結果、表土を除く前には1時間あたり3ミリシーベルトもあったのに、それが0.6ミリシーベルトに減った.
子供達にとっては素晴らしいことだ.
これが小学校ばかりではなく福島県の全部に行き渡れば、
「汚れた福島」
から
「綺麗な福島」
への転換ができる。素晴らしいことだ。
・・・・・・・・・
でも、これに対して文科省の大臣が、
「3ミリシーベルトで安全なのだから、余計なことをするな」
と言った。「汚れた福島のままで良い。30年はそのままでよい」という意味になる。
その理由は、「安全なものをさらに安全にしなくても良い」ということだが、超・ねじれ思考であると共に、法律違反である。
もともと文科省は、放射線を出す物質の法律を作り、厳しく管理をしていた。複数の法律があるが、その基本思想と規制値は、
1. 被ばくはできるだけ低い方が良い、
2. 子供の被ばくは大人より危険である、
3. 一般人の1年間の限度は1ミリシーベルトである、
4. 「クリアランス・レベル」(原子力関係の廃棄物を捨てる時の基準)は1年間10ミリシーベルト以下にしなければいけないし、それに反すると1年以下の懲役で犯罪である、
ということである。
今回の地震で臨時措置として、年間20ミリシーベルトとう限度を決めたが、これはあくまでも「望ましくないが臨時」であり、さらに「法律で決まっているのを、文科省の大臣が勝手に変更できない」という制限がある。
・・・・・・・・・
実質的に子供達の安全を守るという点でも、これまでの文科省の指導の思想から言っても、さらには具体的な法律から見ても、郡山市の行動とその結果は、「子供を育てるために存在する、文科省として喜ぶべきもの」であることは明らかだ.
私は福島原発事故以来、政府が自分たちのメンツにこだわって、
「どうにかして、国民や子供をより多く被ばくさせたい」
という行動を取ることに、実に不思議な感じがしていた。
「そんなことはないはずだ」と何回も自分に言い聞かせてきたが、政府が言ったり、行動したりするとすぐ、それは裏切られる.
原発事故では「最初に逃げて、後で戻ってくる」ことによって被曝量を減らすことができるのに、一番、多く放射性物質が出ている時に「安全だ」と言って、放射線が少なくなってから「危ない」と言い出したりしている。
私は小学校の基準として文科省が出した1時間3.8マイクロシーベルトという計算はまったくの間違いと思っているが、もしそれが正しくても、郡山市の小学校の汚染が下がるのは歓迎のはずだ。
すでに政治家やお役人が自分たちだけのことを考えて、国民は税金を納める道具ぐらいしか思っていないことは確かだが、こんなときにもそうか、と思うと情けない.
(注)文科省3.8マイクロの間違い
1. もともと子供は1年間1ミリシーベルトである、
2. 原子力安全委員会も、臨時措置でも子供は10ミリシーベルトが望ましいと言っている、
3. ノーベル医学賞を受賞した外国の学者も、子供の規制値を2から3分の1にすべきだと提言している、
4. 内部被ばくを計算していない(計算根拠を示さず、無視できるとしている)、
5. 校庭にいる時間以外は子供が屋内にいるとしていること、さらには屋内は屋外の2.5分の1だとしていること(現在の福島県の状態を無視している)。
子供をできるだけ多く被ばくさせたいという異常な心理で、子供を被ばくさせるな!
(平成23年4月29日 午前11時 執筆)
武田邦彦
引用元頁:http://takedanet.com/2011/04/post_b591.html
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