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2011年05月10日

「原発論点7 原発の4重苦」

中部大学の武田邦彦さんのブログからの転載です。

原発論点7 原発の4重苦



浜岡原発の運転休止が決まって、急に、原子力発電所をこのまま使い続けるかという議論がおきています。

考えてみますと、仮に現在、日本で用いられている「軽水炉」という原子炉が安全だとしても、原子力発電所にはいろいろな問題点があることに気がつきます

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第1の問題点は、原子炉自体が安全でも、今回の福島原発のように電源系が失われたり、さらに、タービン建屋の中にある熱交換器が損失したりしますと、原子炉を冷やすことができず、福島原発のような事故になることがわかりました。

その他、原子力発電所は原子炉や冷却系、電源だけで成り立っているわけではなく、制御系やその他の機械の集合体なので、「どこが破損すると全体の機能が失われるか」について、もう一度チェックしてみないといけないことがわかりました。

青森県の東通原発は、震度4の地震で全部の電源を失いました。

ディーゼル発電機が動かなかったのは部品のつけ間違いでしたが、そのような人間のミスも含めて、震度4の地震で全ての電源を失うというような事態が起きているのです。

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第2は今回の事故で有名になった「想定外」の問題です。

この「想定外」の問題には二つ内容があります。

ひとつは東京電力が想定したらその範囲外の時には大きな事故になるということ。

第二に、もともと人間が考えられる想定外が起こると事故に繋がるということ。

普通の意味で「想定外」といいますと、科学といっても無限には予想できないので、考えられない範囲が起こるという(善意の)意味があります。

しかし、今回の福島原発の事故は、人間が考えられない範囲という程大げさではなく、単に「東京電力が考えた範囲外」だったということだったのです。

それに加えて国民の代わりに、原発の安全性を見ていたはずの保安院が全くチェックしていなかったということも明らかになりました。

福島原発の事故が起こった後も、この想定外の問題は残されています。つまりすべての

「日本の原発は想定外が存在し、その想定外が起こった時はほぼ現在の福島原発のような事故になる」

ということがわかったからです。

ところが、福島原発と同じように三陸沖の地震に見舞われた女川原発は、破壊されませんでした。だから、設計は悪くなかったという見方もあります。

しかし、これは偶然です。

予想された津波の高さは、女川でも福島原発とほぼ同じ6メートルから7メートルでしたが、東北電力の設計者が慎重だったために、15メートル程の高台に立てたので破壊を免れたのです。

つまり、たまたま東北電力の中に慎重な設計者がいたとか、東北電力が高台に土地を持っていたということによって、女川原発は破壊を免れたのです。

こんな偶然が重ならないと原発の安全性が守られないというのでは、安心してはいられません。

しかも、論理的にも「真の意味の想定外」の時にどのように原発を守るかということについて全く議論が進んでいません。

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わたくしも最近まで原発の危険性というのは、

第1に、原子炉だけを守って電源や熱交換器等のその他の機械について安全性が十分に確保されていなかったこと、

第二に、想定外のことについてどのように安全性を確保するかということ、

の二つが重要なことであると考えていました。

ところがそれでは甘いことがわかってきました。

つまり、原発の危険性の第3は、原発に事故が起こった時に、誰が住民を避難させるのか、どうしたら安全性を確保することのかについて、何のシステムも対策もなされていないということです。

あるところで、自治体と電力会社の会議がありました。

その会議で、わたくしは次のような質問をしました。

1.
  もしも原発が事故を起こし、水源が汚れて市民が水を飲めなくなったときに、電力会社は
  住民  のためにペットボトルを用意していますか?

2.
  もしも原発が事故を起こし、児童が被曝しそうになったので、疎開させようということになっ
  た時に備えて、電力会社は疎開先の学校を準備していますか?

3.
  もしも原発が事故を起こし、土地が汚れたときに、電力会社は土地を綺麗にしにきてくれ
  ますか?

わたくしのこの三つの質問に対して、電力会社はいずれも「ノー」と答えました。

この答えは、福島原発の事故の状態を見ているとはっきりとわかっていることでもあります。

そこでわたくしはさらに確認のために、

「電力会社は原発を運転しているのに、原発が事故を起こして汚いものが広く散らばってもそれを片付けようという意思はないのですか?

それは法律的に義務がないという意味ですか、それとも、企業の社会的責任として、行わなくてもいいというお考えですか。」

これに対しては電力会社は答えてくれませんでした。

現代の社会でちゃんとした会社が自分の製品が欠陥であっても、知らないかをするということは、ほとんど考えられません。

しかしそれが、原発では現実なのです。

しばらくたって、電力会社の人は、「損害が起きた時の訴訟の対象は電力会社で、それは全部引き受ける積もりです」とお答えになりました。

そこで私が、「被爆をして被害を受けてから損害賠償しても意味がないのではないか、むしろ被爆をしないように全力を尽くすべきではないか」と申上げました。

その後の議論は割愛するとして、会議が終わったとわたくしは自治体の人に、

「それでは住民を助けるのは自治体の役目でしょうか?」

と聞きました。自治体の人は、

「毎日、住民のサービスをしているのですが、法律的には地方自治体には原子力関係の危険を防止するような仕事ができないのです。

原子力関係はすべて国がするようになっているのです。」

とお答えになりました。

つまり現在の日本では、これだけの数の原発があり、福島原発のような事件が起こっているにもかかわらず、原発事故が起こっても、電力会社も自治体も住民を救うことができないというシステムなのです。

人間のやることには何か間違いがあることがあります。その時に、その損害をできるだけ小さくするようにする手段があります。

例えば海の上を航行する船は、時々、遭難をしますが、必ずボートで逃げられるようになっています。ボートで全員が救われるとは限りませんが、かなりの数の人がそれで命が救われるのです。

ところが、原発にそういうシステム自体がないということになると、どんなに安全に作っても危険であるということになります。

無条件で危険となります。

これだけをとっても現在、日本の原発は「安全なものを一つもない」ということが言えると思います。

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4
番目の危険は、さらに人間に強く関係しています。

それは、ウソというと少し表現が強すぎますが、放射線による被曝を少なく見せたり、原発で起こっていることを軽く表現したり、またこれから起こりそうな危険が生じても、できるだけ外部に知らせず内部だけで処理しようとすることです。

一つの企業が自分の会社を守るために、できるだけ隠すということは当たり前のように思いますが、私が若い頃ある化学工業に勤めた時には全く違いました。

新入社員のわたくしは何回も教育を受けましたが、

「仮に、どんなに小さな小火(ぼや)が起き、それを自分で消せると思っても、まずは消防に電話をしろ」

と教育されました。

その工場は大きかったので、工場の中に2台の消防車が常駐してましたが、そこに電話するのではなく「市の消防署に電話するように」との教育を受けたのです。

その理由は、

「わたくしたちの工場は社会的存在であり、社会の人に危険を及ぼしてはいけないので、何が何でも市の消防に最初に通報し、そのあと、工場内の専用消防に電話をしろ」

と言われたのです。

これが今から40年程前であることを考えると、現在の方が社会における企業の責任が後退しているように感じられます。

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せっかく日本社会に良質の電気を供給できる原子力発電も、また、もし原子力発電の技術が向上して安全な原子力発電ができたとしても、このような4つの大きな欠陥を持っているようでは、安全な原発とは到底言えません。

その多くは人災としての意味を持っています。

つまり、現在の原発問題は、原発自体の技術問題もありますが、それより多くが「社会のひずみ」がもたらしているもの、社会が「誠実性」を欠いているところに真の問題点が存在すると考えられます。

その中でも、「事故が起きても国民を守る担当が決まっていない」ということが長く続いてきたのは、一体何を意味しているのでしょうか。

このような状態では、高温ガス炉でもトリウム溶融塩炉でも「安全な原子炉」などというものはあり得るはずもないのです。

(平成23年5月9日 午後10時 執筆)


武田邦彦

引用元頁:http://takedanet.com/2011/05/post_b941.html

soranimukatte_23 at 00:50│ 報道されない真実 | 原発・新エネルギー
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